歴史と市政のあゆみ(明治・大正時代)

 

ページ番号1003149  更新日 平成28年7月28日 印刷 

青梅鉄道の2号機関車、森田製糸所糸繰り作業など

廃藩置県後、韮山県や神奈川県に属し、明治22年の市町村制の施行によって福生村、熊川村は組合役場を設け、共同で事務処理をすることとなりました。その後、明治26年に東京府に編入されます。
明治27年には、青梅鉄道の福生駅が開設し、大正14年には福生から五日市間にバスが運行、五日市鉄道も開通し、福生は西多摩地域の玄関として活気を呈すようになります。明治、大正、昭和にいたる福生は、酒造と製糸を地場産業とし、養蚕を中心とした農村地帯でした。

写真:青梅鉄道の2号機関車 熊川 (現・福生一中付近)明治36年
青梅鉄道の2号機関車 熊川
(現・福生一中付近)明治36年
写真:森田製糸所糸繰り作業 熊川 大正14年8月
森田製糸所糸繰り作業 熊川 大正14年8月

より良いウェブサイトにするためにアンケートを行っています

このページの感想をお聞かせください(複数回答可)

このページに関するお問い合わせ

福生市役所
〒197-8501 東京都福生市本町5
電話:042-551-1511