歴史と市政のあゆみ(江戸期まで)

 

ページ番号1003148  更新日 平成28年7月28日 印刷 

長沢遺跡出土縄文式土器・石器など

名前の由来については、諸説あるが定説はありません。
そのうちの一つは、麻の古語である総(ふさ)・房(ふさ)からきたもので、麻の生える地-総生(ふさふ)から転訛を繰り返してフッサとなり、漢字を当てたとする説。
2つめは、アイヌ語説で、かつて東日本に住んでいたと考えられるアイヌ人が「湖のほとり」という意味の「フッチャ」が転訛を繰り返してフッサとなり、漢字を当てたとする説です。市内の遺跡地周辺に素晴らしい湧水がありました。
3つめは、「阜沙(ふさ)」からきたとする説。阜とは丘とか土山の意で、沙とは砂原、川岸の意があり、福生の地形や地質がそれによくあっていることから呼ぶようになったという説。
名前の由来には以上の三つの説が伝えられています。

写真:長沢遺跡出土縄文式土器・石器(4000から5000年前)
長沢遺跡出土縄文式土器・石器(4000から5000年前)
写真:北條氏照制札(戦国時代 福生市指定文化財)「福生」の文字が見える
北條氏照制札(戦国時代 福生市指定文化財)
「福生」の文字が見える

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