「映画監督とぶらり!まち歩き」登場監督へのインタビュー(監督ぶらりまち歩き篇)

 

ページ番号1006966  更新日 平成29年12月4日 印刷 

「映画監督とぶらり!まち歩き」登場監督へのインタビュー(監督ぶらりまち歩き篇)

出演頂いた監督達に、実際に福生のまち歩きをして頂き、撮影に関するエピソードや福生での思い出を語って頂きました。こちらは福生のまち歩き編となります、ぜひご覧ください。

1_1

1_2

1_3

1_4

1_5

1_6

1_7

インタビューテキスト版について

樋口真嗣監督、尾上克郎監督、原口智生監督 映画の舞台になった福生をぶらりまち歩き

東京西部に位置する福生市。落ち着いた住宅街として知られる一方で、市内に米軍横田基地を抱えることから長年アメリカ文化を取り入れた独自のカルチャーを育んできた。まちの至るところに絵になる風景が広がる理由のひとつだ。

実際に福生は、『限りなく透明に近いブルー』(1979)、『スローなブギにしてくれ』(1981)、『シュガー&スパイス』(2006)など数々の映画の舞台になってきた。最近では、2016年に公開され大ヒットした『シン・ゴジラ』の撮影も行われている。

なぜ映画人は福生に惹かれるのか? 福生のカルチャーの魅力とは? 映画界の第一線で活躍する、樋口真嗣監督、尾上克郎監督、原口智生監督が福生に集合。映画のロケ地や舞台になった場所を中心に福生のまちを探訪し、その魅力を辿る。

監督プロフィール

<樋口真嗣(ひぐちしんじ)氏>
映画監督・特技監督。映画「ゴジラ」にて映画界入り。
主な監督作品は「シン・ゴジラ」、「進撃の巨人」、「ローレライ」など。

<尾上克郎(おのうえかつろう)氏>
特撮監督・VFXスーパーバイザー。
美術、装飾、特殊効果マンとして活躍。「シン・ゴジラ」准監督、「進撃の巨人」特撮監督を担当。

<原口智生(はらぐちともお)氏>
映画監督・特技監督・特殊メイクアーティスト。
代表作品は「ウルトラマンメビウス」。かつてアメリカンハウスで制作活動を行っており、福生への造詣が深い。
 

東福生駅の周辺、八高線の趣
監督3名の福生探訪のスタートは、市の北側に位置するJR八高線の東福生駅。八高線は、横田基地の接するベースサイドストリートに平行し走っている単線の路線。その中でも東福生駅は、歩道橋を兼ねた自由通路に橋上駅舎が設置されているだけの、いまどき東京では珍しい無人駅だ。
40年近く前に八高線沿いに工房を構えていた原口監督も、懐かしさと驚きを隠せない。

原口   東京都内でこういう場所ってとても珍しいよね。映画『シュガー&スパイス』も、この東福生駅を舞台にロケされているみたいですよ。

樋口   東京とは思えない佇まいだよね。

原口   でも、駅の周りも自分が住んでいた頃に比べるとやっぱり新しくなってますね。電車も今は電化されているようだけど、自分が住んでいたころはディーゼルで、線路に電線がなかった。
 

80年代そのままを残すライブハウス「UZU」
次に向かったのは、東福生駅に近い「Live Music Café UZU」。店名は昔と少し変わったが、その佇まいは80年代とまるで変わらない。かつての常連客である原口監督、尾上監督は、これに感激。

「Live Music Café UZU」名前は変わったが建物は昔のままのだった

原口   建物はそのまんまだね。全然変わってない。看板の絵がちょっと変わったけどね。

尾上   本当だ。これ、まんま変わってないじゃん。

原口   ここは家から近かったんで、しょっちゅう遊びに来てた。ウィークデーは基地の兵隊さんや外国人さんたちも遊びに来て、朝5時、6時までやっていたからね。このライブハウスから世に出たミュージシャンの人も多い。

店で出会ったのはママの娘・石田さん店に入ると、そこには思わぬ人物が。

尾上      お邪魔します。すみません。

石田さん  こんにちは。

原口      何十年ぶりに来たんです。1980年から6年間福生にいたんですが、お邪魔するのはそれ以来。本当に懐かしいです。

石田さん  そうなんですね。私は娘なんですが、ママは今出掛けています。

原口      僕が来ていたころはエレクトリックUZUっていう名前だった気がする。                

石田さん  何年か前に変わりました。

原口      お店がちゃんとまだあるっていうのに、ちょっと感激しちゃいました。

石田さん  よく言われます。昔来てた方が来られて、「変わってないよ」とか。

原口   パーティーの時はジャングルジュースって言って、大きなボウルにいろんなお酒を入れたものを皆で飲んだ思い出があるな。やっぱり福生のミュージックカルチャーを育む大事なお店なんだろうね。

尾上   だから今でもそのまま残っているんだろうね。内装にも余計な装飾が無くていい。こういうのはなかなか真似できないんだよ。

樋口   天井の高さが、やっぱりアメリカンハウスっぽいよね。

原口      映画のロケーションでも貸していただければね。セットで作るのとは違って本当に風情がある。

尾上      全然違うよ。この味とこのレイアウトはセットじゃなかなかできない。最高だよね。でも、これ余計なことやっちゃうとつまんなくなるでしょ。ロケやるにしても、このまんまやんないと。
 

アメリカ文化の香りが色濃く残るアメリカンハウス
八高線沿いを歩きながら次の目的地である横田基地第ニゲート前を目指し進んでいくと、アメリカンハウスが今も残るエリアが。アメリカンハウスは戦後米軍の軍人向けに作られた住宅だ。ゆったりとした敷地に建つ平屋建ての建物は、独特の風景を生み出している。

原口監督は、学生時代にアメリカンハウスを借りて創作活動をしていたのだという。

今も残るアメリカンハウスを利用したカフェ「CAFE D-13」

アメリカンハウスの中でコーヒーが飲める 思わずショップカードを手に取る監督

原口   この辺は軒並みハウスが残ってるね。アメリカンハウスは米軍の軍人さん向けに作られたんだけれど、80年代当時はそれが日本人に払い下げられたり、貸し出されたりしていた。

尾上   こういう広い敷地に点在していて、芝が生えていて。ちょっと日本の家とは違う感じだよね。フェニックス(カナリーヤシのこと)みたいなのが植わっていたりとか、敷地の使い方がやっぱり上手。

樋口   やっぱりアメリカ。狭いながらもアメリカっぽい。

尾上   家と家の間に柵がないとかさ。貴重な文化遺産だよ。

原口   このエリアは、芸術とか、音楽とか、そういうクリエイティブな人が集まって暮らして、創作活動する一つのアートビレッジみたいな所だったんです。

樋口   原口さんがこの辺に移り住んだ80年代って、作家の村上龍さんや片岡義男さんが書いた小説がどんどん映画化された。『シュガー&スパイス』は山田詠美さんの作品だし。ここに住んでいた人たちが書いた小説が映画化されて、映画のロケ地がここになるって具合に、全部ここで生まれてきた。

尾上   こういう所に住んでないと、『スローなブギにしてくれ』みたいな本は書けないな。

原口      自分はちなみに怪獣作ったりしてましたけどね。

一同  (笑)


原口監督の旧工房の現在は?

さて、原口監督の工房のあった場所はどうなっているのだろうか。

足を向けてみると…

 

原口   さあ、もと我が家は残っているかな。もう無いだろうな。番号はA-16。

……

尾上   こんな所だっけかな? 駅から歩いてきた思い出があるけど、こんな線路脇だっけ。

原口      そう。この塀がそれの名残なんだね。ここにあったアメリカンハウスの隣で、白に水色のラインが入っていたはず。ここに4棟あったんだけれど、全部無くなっているな。この塀だけが昔のままだね。

原口      これ、ハウスにふいてあった瓦だ!

尾上      本当だ、本当だ。A-16。

樋口      しみじみしちゃうなあ。面白い。

「ここ。もぬけの殻。」原口監督の元工房だったアメリカンハウスは取り壊されていた

後輩とシェアしながら工房として使用していた、塀の一部は今も残っているようだった
 

モスラも横切った横田基地 第二ゲート前
さらに歩くと目指す第二ゲート前に到着。大きなゲートの向こうには、横田基地の広大な敷地が広がる。

樋口      米軍の横田基地。アメリカ空軍の飛行場がこの向こうにあるんですね。僕も生まれる前、1961年の『モスラ』で、イモムシみたいなモスラがこの上流にある小河内ダム(東京都の西部、奥多摩湖にあるダムのこと)に現れて、ダムを壊して東京に向かうときにこの横田基地の横を通っていく。あの当時にしてはアメリカンな雰囲気が映るシーンなんだよね。

尾上   まちの看板もアメリカンな感じだったし、アメリカンの商店みたいなミニチュアセットの風景が出てくる。あれはアメリカと合作だったから、何か関係があるのかな。

樋口    その当時、怪獣映画ってアメリカにすごく売れたんだよね。『モスラ』もアメリカの映画会社が日本の映画にお金を出していた。

原口      映画の最後、架空の都市の飛行場の滑走路にモスラが降りてくるシーンも、このすぐ近くの立川基地で撮影されていたみたい。このあたりは何かと映画と縁がある場所だね。

尾上      昔はフェンスの向こう側は本当にアメリカで、日本人にとって憧れの地だったわけだから、今とはちょっと感覚が違うのかもしれないね。

樋口      全く違う感じだったもんね。基地があるとなしとでは、福生の印象って全然多分違うだろうね。

国道16号線沿い 昔から米軍向けのレストランや海外商品を扱うストアが軒を連ねていた
 

「シン・ゴジラ」の料亭は福生にあった 住宅街の真ん中にある茶室「福庵」
次に監督たちが訪れたのは、茶室「福庵」。住宅街を進んでいくと現れる緑の溢れる静かな佇まいと純和風の建物に、これまで歩いてきた場所とは風景が一変する。

『シン・ゴジラ』のロケ地のひとつでもある「福庵」。純和風建築ならではの落ち着いた佇まいで、久しぶりの訪問に樋口監督と尾上監督の想い出話にも花が咲く。

尾上      住宅街の真ん中にあるんだよね。何度も来たからわかる。『シン・ゴジラ』の設定では政治家さんたちが集まって秘密の会議をする赤坂の高級料亭だったけれど、本当の料亭を借りるのは大変なんで、探してたら、福生にあったんですよ。「福庵」が。見に来たらとっても良かったので撮影に使わせていただいた。

樋口      赤坂だけど福生で撮った。福生で撮っても赤坂に見える。これは、マジックというやつですね。福生には国道16号線みたいなアメリカンな海外情緒な風景もあれば、日本的な風景もあるんだな。

監督たちの足は「シン・ゴジラ」の撮影箇所へ。

映画「シン・ゴジラ」のワンシーンを再現 茶室の廊下を料亭の廊下に仕立て上げて撮影したそう

尾上   ここだよな。こういう向きで撮ったのね。後ろの照明を背負うように下からのアングルで。

樋口      そうそう。松尾諭さん演じる泉修一政調副会長が電話していたんです。スマホを持って。
 

福生市内で日本酒を醸造している石川酒造
最後に訪れたのは石川酒造。福生市には酒蔵が2つあるが、この石川酒造では、史料館での展示やお酒の販売など、酒造りの文化を身近に体験できるのも特長のひとつだ。石川酒造。「酒飲みのテーマパーク」を目指しているという

樋口   立派な酒蔵だね、ここは。旅館みたいだね。

尾上   「多満自慢」、おいしいよね。あ、「ひやおろし」があるじゃないですか。よし、買って帰ろうかな。

原口   重くないやつがいいな。

尾上   梅酒、いきますか。奥さんに梅酒を買っていかないと怒られちゃうな。

樋口   「東京の森」。あ、これは杉の香りがするお酒、リキュール。日本酒じゃないんだ。すごいね。もう完全に旅気分になっちゃった。

史料館ではお酒づくりのさまざまな歴史を展示

福生の酒造りにも触れた監督たちは、最後に「東京の森」で乾杯。おいしいお酒と共に福生を一日探訪した疲れを癒した。

原口   乾杯。

尾上   お疲れ様でした。

樋口   お疲れっす。あ、おいしい。

尾上   おいしいわ。

樋口   仕事しながら、お酒を飲めるなんていいですね。

一同  (笑)

続きは【監督 鼎談篇】で

PDFファイルをご覧いただくには、Adobe Readerが必要です。お持ちでない方はアドビシステムズ社のサイト(新しいウィンドウ)からダウンロード(無料)してください。

より良いウェブサイトにするためにアンケートを行っています

このページの感想をお聞かせください(複数回答可)

このページに関するお問い合わせ

生活環境部 シティセールス推進課 まちの魅力創造グループ
〒197-8501 東京都福生市本町5
電話:042-551-1740